管理人の頭の中身を公共に配信する盛大なチラシの裏。
落ち込んだりもするけど私は元気です。
で、設計図通りに書いたそれ、そこに心はあるのかね。
どうもみなさん対極です。
最近どうも物語を作っているような気がします。
昔は私はプロットなんてものを作らない人間でした。
キャラがいて、その周りに人がいて、気が付けばその人たちの住んでいる世界があって、そこで彼らが動き出すというような、場当たり的なお話の書き方をしていたわけです。
そして我が逃げの一手に昔からいらっしゃっている方はご存知のとおり、だらだらと長く続く。
虎の威しかり。エセ軍しかり。
ちゃんと終わらせたけどさ終わったけどさ。
待つんだ今はパン屋の事を話題に出すべきじゃない。
で。
そのお話を規定の量に収めようと思ったとき、私は始めてプロットというものを作り始めました。
決められた量の中で何ができるか。どんな風に始まって、何が起こって、どう終わるかという設計図です。
それでその設計図を見ながら、規定量から溢れないようにお話を書いていくと、ブレーキを踏んでいる自分にふと気づく。
「本当だったらここでトラブルが起こるはずなんだけど、収まらなくなっちゃうから起こさない」
「本当だったらここで対立したりするんだけど、プロットと違うから無理やり和解するようにこじつける」
みたいな事をしている。しているような気がする。してるんじゃないかな。
無意識に自分の手綱を握っているような気がするのです。
いつもの私ならここで絶対に陵辱を入れてるなとか。
ここで決定的な決別を入れてるなとか。
そんな風に思いながら、「けどそれって本当にみんなが読みたい展開なのか?」と考えると進む方向を変えてしまう。
それが気に入らないわけじゃないんです。
AとBの道があって、Aの道を進んでいたけど、Bの道の方が楽しそうだ。っていうだけの話。
なのだけど、それはキャラが自然に動いた結果ではないような気がして、どうにも複雑な気持ちになる。
終着点は同じだと思うんです。
けど私は、キャラ達にショートカットをさせている。
ぜい肉を削ぎ落として、直通で結末に向かわせている。
脇道を切り落として無理やりその道に進むようにしているという感じかも知れない。
そんな違和感を抱くことがある。
もし気にせずに書いたらどうなるんだろう。
何も考えず、このキャラならこうするだろうで書いたらどうなるんだろう。
私の手に負えなくなるんだろうか。
自体は収集できなくなるんだろうか。
あるキャラが問題行動を起こす。私はそれに対する答えと結果をすでに用意している。
けど私の用意した答えを無視して、キャラ達に悩ませて、答えを出させたらどうなるんだろう。
私の中で、設計図と感性が殴り合っているのかもしれません。
設計通りに作ったものは整然としていてわかりやすいです。
けど感性で書いた作品の方が、「私にとっては」面白いものなんじゃなかろうか。
と、少女騎士と箱庭を見ながら思ったりする。
少女騎士は設計図でかいた部分が多く、箱庭は感性でかいた部分が多い。
よりたくさんの方に楽しんでいただけたのは少女騎士です。
けど私の趣味が殺しきれていないくて、中途半端にアンバランス。
修行が足りないのでしょうね。
もっと感情を制御しながら設計図通りにかけるように、狙ったシーンを狙った通りに演出できるようにならなければ。
私はきっと読み手さんの目が恐ろしいのだと思います。
「こんな事かいてたら飽きられちゃうかな」とか思ってる。
その怯えがなにより作品の勢いを殺しているのじゃないのか。
悩みは尽きない。
今日は久々になんか創作屋っぽいぐだぐだを書いてしまいましたな。
そうですいつもの私です。
先生俺、面白い小説が書きたいです。
それではみなさん対極でした。
私は小説を書くのが怖いのです。
小説を書きながらつまらないと思うのがなにより怖い。
覚悟を決めなければならない。
自分の敵はいつだって自分ですな。
それではみなさん対極でした(二度目)。
どうもみなさん対極です。
最近どうも物語を作っているような気がします。
昔は私はプロットなんてものを作らない人間でした。
キャラがいて、その周りに人がいて、気が付けばその人たちの住んでいる世界があって、そこで彼らが動き出すというような、場当たり的なお話の書き方をしていたわけです。
そして我が逃げの一手に昔からいらっしゃっている方はご存知のとおり、だらだらと長く続く。
虎の威しかり。エセ軍しかり。
ちゃんと終わらせたけどさ終わったけどさ。
待つんだ今はパン屋の事を話題に出すべきじゃない。
で。
そのお話を規定の量に収めようと思ったとき、私は始めてプロットというものを作り始めました。
決められた量の中で何ができるか。どんな風に始まって、何が起こって、どう終わるかという設計図です。
それでその設計図を見ながら、規定量から溢れないようにお話を書いていくと、ブレーキを踏んでいる自分にふと気づく。
「本当だったらここでトラブルが起こるはずなんだけど、収まらなくなっちゃうから起こさない」
「本当だったらここで対立したりするんだけど、プロットと違うから無理やり和解するようにこじつける」
みたいな事をしている。しているような気がする。してるんじゃないかな。
無意識に自分の手綱を握っているような気がするのです。
いつもの私ならここで絶対に陵辱を入れてるなとか。
ここで決定的な決別を入れてるなとか。
そんな風に思いながら、「けどそれって本当にみんなが読みたい展開なのか?」と考えると進む方向を変えてしまう。
それが気に入らないわけじゃないんです。
AとBの道があって、Aの道を進んでいたけど、Bの道の方が楽しそうだ。っていうだけの話。
なのだけど、それはキャラが自然に動いた結果ではないような気がして、どうにも複雑な気持ちになる。
終着点は同じだと思うんです。
けど私は、キャラ達にショートカットをさせている。
ぜい肉を削ぎ落として、直通で結末に向かわせている。
脇道を切り落として無理やりその道に進むようにしているという感じかも知れない。
そんな違和感を抱くことがある。
もし気にせずに書いたらどうなるんだろう。
何も考えず、このキャラならこうするだろうで書いたらどうなるんだろう。
私の手に負えなくなるんだろうか。
自体は収集できなくなるんだろうか。
あるキャラが問題行動を起こす。私はそれに対する答えと結果をすでに用意している。
けど私の用意した答えを無視して、キャラ達に悩ませて、答えを出させたらどうなるんだろう。
私の中で、設計図と感性が殴り合っているのかもしれません。
設計通りに作ったものは整然としていてわかりやすいです。
けど感性で書いた作品の方が、「私にとっては」面白いものなんじゃなかろうか。
と、少女騎士と箱庭を見ながら思ったりする。
少女騎士は設計図でかいた部分が多く、箱庭は感性でかいた部分が多い。
よりたくさんの方に楽しんでいただけたのは少女騎士です。
けど私の趣味が殺しきれていないくて、中途半端にアンバランス。
修行が足りないのでしょうね。
もっと感情を制御しながら設計図通りにかけるように、狙ったシーンを狙った通りに演出できるようにならなければ。
私はきっと読み手さんの目が恐ろしいのだと思います。
「こんな事かいてたら飽きられちゃうかな」とか思ってる。
その怯えがなにより作品の勢いを殺しているのじゃないのか。
悩みは尽きない。
今日は久々になんか創作屋っぽいぐだぐだを書いてしまいましたな。
そうですいつもの私です。
先生俺、面白い小説が書きたいです。
それではみなさん対極でした。
私は小説を書くのが怖いのです。
小説を書きながらつまらないと思うのがなにより怖い。
覚悟を決めなければならない。
自分の敵はいつだって自分ですな。
それではみなさん対極でした(二度目)。
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