管理人の頭の中身を公共に配信する盛大なチラシの裏。
落ち込んだりもするけど私は元気です。
ゴタゴタとするばかりでやる気は起きず。
どうもみなさん対極です。
肩こり&運動不足解消のために始めた水泳はようやく一週間目を向かえ、気が付いたら背泳ぎができるようになっていました。今まで「いやいや仰向けに浮くとか不可能だろ」って思ってたんですが、災害対策の「ウイテマテ」というのを読んだら「案外浮けるんじゃないか」と思い始め、とりあえず浮かんで見たらなんとなく浮かべて、なんとなく腕を回したら泳げました。フォームはグズグズでしょうが、とりあえず仰向けで泳げる。
っていうか水泳って浮き方さえ覚えればなんとでもなるんですよね。
今度は古式泳法でもためしてみるか。
今の私の泳力だと、普通に泳いで75メートルでなんだか息切れしてしまう。
100までいけそうな気がするんですが、コース途中で立つのは禁止なので挑戦する勇気が無い。
無駄に力が入ってるんでしょうね。1000メートルでも泳ぎ続けられるようになれればいいのに。
ちなみに全力ダッシュすると25メートルが限界な感じです。陸上でいう50メートルダッシュでしょうか。
とりあえず水泳を始めて一週間が経過しましたが、来年の今頃も私は水泳を続けていられるのだろうか。
会社帰りに途中の駅で降りて泳ぐのも、まあ王道ですよねえ……
今日ためしてみようかな。
そうそうお仕事の話ですな。
私のお仕事は底辺ライターとして文章を書く事なのですが、
まあ当然お仕事なので修正指示が入るわけです。
なんだかんだで六年も続いているお仕事で、六年前の私を知っている人はきっと「ラフが通らない」「死にたい」「かけない」と絶望している私を覚えていらっしゃる事でしょう。
でまあ、六年も続けてるんだからいい加減慣れもしたんですが、最近「いつまで経っても慣れないんだ」とふと気付く事がありまして。
原稿に赤ペンで修正指示が入っていて、それが誤字や脱字ではなく「私の文章のクセ」だったりすると、急に「ああ私にはこんなクセがあったんだ」って気付いたりして、「こういう表現多いよ」って言われたりするとさっと青ざめるような感覚に陥ります。
指摘されるという事は気になるレベルという事で、つまりそれは直さなければならないクセで、けれどクセなもので意識していてもやらかしてしまう事はあるのです。
で、読み返して見て「ああまたこの表現使ってる」と思うと、例えそれがひとつの原稿に一部分しかなくても、私もチェックする人間も引っ掛かってしまう。
結果として「この表現を二度と使うな」と言われているのと同じような状態になってしまいます。
そういうのが繰り返されていくうちに「クセ」というのは矯正され、読み易い文章が出来上がっていくのでしょうが、なんでしょうね指を一本きり落とされたような気分になる。
なんだか痛いんですな。傷が塞がっても微妙に疼くような。
そしてそれが「選ぶ言葉の種類」ではなくて「文章の運び方」に対する指摘だったりすると絶望はより深くなります。
漫画とか読んでいても「必ずこのやり取り入るな」って感じる事があるでしょうが、あれ。
書いてる本人は「そういう話の運びをすること」に慣れ切っていて、それが「いつもそのパターンだよね」と言われるとどうしたらいいのか分からなくなってしまいます。
新しい方法を模索するのだけれど、何せ慣れないやり方なのでひっかかるし違和感も出てくる。
かといって今までのやり方をすると「いつものパターン」という言葉が頭に浮かんでかけなくなる。
結果として、書くのが怖くなるし、書くのが楽しくなくなったりして。
そんな事ってなんにでもあるよね。あるある。
言ってる方としてはそんなに深く考えているわけでもなく、
第三者視点でも「確かに直したほうがいいよな」という部分。
それでも本人には凄まじい重圧になっていて、「その程度のことで」書くのをやめたくなってしまう。
そればかりか、今まで書いたものを全て破り捨ててしまいたくなってくる。
だから何って事も事もないのですけれども。
もっと上手に書けるようになりたいですね。
それではみなさん対極でした。
どうもみなさん対極です。
肩こり&運動不足解消のために始めた水泳はようやく一週間目を向かえ、気が付いたら背泳ぎができるようになっていました。今まで「いやいや仰向けに浮くとか不可能だろ」って思ってたんですが、災害対策の「ウイテマテ」というのを読んだら「案外浮けるんじゃないか」と思い始め、とりあえず浮かんで見たらなんとなく浮かべて、なんとなく腕を回したら泳げました。フォームはグズグズでしょうが、とりあえず仰向けで泳げる。
っていうか水泳って浮き方さえ覚えればなんとでもなるんですよね。
今度は古式泳法でもためしてみるか。
今の私の泳力だと、普通に泳いで75メートルでなんだか息切れしてしまう。
100までいけそうな気がするんですが、コース途中で立つのは禁止なので挑戦する勇気が無い。
無駄に力が入ってるんでしょうね。1000メートルでも泳ぎ続けられるようになれればいいのに。
ちなみに全力ダッシュすると25メートルが限界な感じです。陸上でいう50メートルダッシュでしょうか。
とりあえず水泳を始めて一週間が経過しましたが、来年の今頃も私は水泳を続けていられるのだろうか。
会社帰りに途中の駅で降りて泳ぐのも、まあ王道ですよねえ……
今日ためしてみようかな。
そうそうお仕事の話ですな。
私のお仕事は底辺ライターとして文章を書く事なのですが、
まあ当然お仕事なので修正指示が入るわけです。
なんだかんだで六年も続いているお仕事で、六年前の私を知っている人はきっと「ラフが通らない」「死にたい」「かけない」と絶望している私を覚えていらっしゃる事でしょう。
でまあ、六年も続けてるんだからいい加減慣れもしたんですが、最近「いつまで経っても慣れないんだ」とふと気付く事がありまして。
原稿に赤ペンで修正指示が入っていて、それが誤字や脱字ではなく「私の文章のクセ」だったりすると、急に「ああ私にはこんなクセがあったんだ」って気付いたりして、「こういう表現多いよ」って言われたりするとさっと青ざめるような感覚に陥ります。
指摘されるという事は気になるレベルという事で、つまりそれは直さなければならないクセで、けれどクセなもので意識していてもやらかしてしまう事はあるのです。
で、読み返して見て「ああまたこの表現使ってる」と思うと、例えそれがひとつの原稿に一部分しかなくても、私もチェックする人間も引っ掛かってしまう。
結果として「この表現を二度と使うな」と言われているのと同じような状態になってしまいます。
そういうのが繰り返されていくうちに「クセ」というのは矯正され、読み易い文章が出来上がっていくのでしょうが、なんでしょうね指を一本きり落とされたような気分になる。
なんだか痛いんですな。傷が塞がっても微妙に疼くような。
そしてそれが「選ぶ言葉の種類」ではなくて「文章の運び方」に対する指摘だったりすると絶望はより深くなります。
漫画とか読んでいても「必ずこのやり取り入るな」って感じる事があるでしょうが、あれ。
書いてる本人は「そういう話の運びをすること」に慣れ切っていて、それが「いつもそのパターンだよね」と言われるとどうしたらいいのか分からなくなってしまいます。
新しい方法を模索するのだけれど、何せ慣れないやり方なのでひっかかるし違和感も出てくる。
かといって今までのやり方をすると「いつものパターン」という言葉が頭に浮かんでかけなくなる。
結果として、書くのが怖くなるし、書くのが楽しくなくなったりして。
そんな事ってなんにでもあるよね。あるある。
言ってる方としてはそんなに深く考えているわけでもなく、
第三者視点でも「確かに直したほうがいいよな」という部分。
それでも本人には凄まじい重圧になっていて、「その程度のことで」書くのをやめたくなってしまう。
そればかりか、今まで書いたものを全て破り捨ててしまいたくなってくる。
だから何って事も事もないのですけれども。
もっと上手に書けるようになりたいですね。
それではみなさん対極でした。
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