管理人の頭の中身を公共に配信する盛大なチラシの裏。
落ち込んだりもするけど私は元気です。
ボォオオオオォン!!!!
「I was born」っていう散文詩が教科書に載っていたと記憶していますが、「人は生まれさせられるんだ!」って英語の文法的発見にはしゃぐ少年と、子供を産んで死んでしまった母親の事を語る父親との、なんとも胸が苦しくなるような内容が今も私の胸に突き刺さってはなれない。
詩の力とはこれである。
どうもみなさん対極です。
そうです。
今日! この日!! うん十うん年前に私と言う人間がこの世に爆誕してしまったのです!!!
あぁ生まれたくなかった。今日も明日もいきづれぇ。
とはいえです。
「明日誕生日なんすよ」というある種の質量を持った発言で上役氏にごはんをおごってもらったり、「ほら・・・誕生日だから・・・」とかいう謎の呪文を唱えながらディズニーランドからの脱出(一万円する)に応募してみたりできてるわけですから、生き辛いながらも人生は楽しいものです。
嫌いな人への文句をおおいにいい、恩のある方への感謝をおおいに語り、誰にはばかる事もなく、非常識に今日も私は本心と感情をばらまきながら生きている。クズをクズと言ってなぁにが悪い!! などというふざけたスタンスで生きられているのだから、幸運であり幸福ですな。本心なんて一言も言えないで壊れてしまう人が世の中にはたくさんいるわけで。
そういう意味では、誰に雇用されているわけでもない根なし草というのはやはり私のしょうにあっているような気がする。けどやっぱりどこかに仕官したいような気もしたりする。安定か自由か。選択はいつも対極の位置にあって、中間地点で両手を伸ばしても両方には届かない。
とはいえだ。
攻撃なんてしないで穏やかに意見を通せるようになるのが一番上流なんだろうなという気持ちはあるんです。
私も本当は誰ともケンカなどしたくなく、誰も嫌いたくなく、誰にも嫌われたくなく、楽しく仕事をしていたい。
楽しく仕事をして「グッジョブやないか・・・」って言われたら最高にハッピーなわけですよ。
しかし世の中そう上手くは行かず、衝突は起こり、憎しみが芽生える。
主張がぶつかりあうならまだいい。こちらの主張を否定されるだけで、相手に主張がない場合が一番やっかいなんですな。一方通行の徒労感。
「これじゃない」「違う」「そうじゃない」ばかりで、「じゃあどうしたいの?」が出てこない。
思い詰めて「どうしたいのか?」と聞けば、「自分で考えろ」とくるのが一番やっかいです。
「あなたはどうしたいんですか? こちらはあなたがもってきたものを評価するだけです」って。
なるほど正しいスタンスだ。大量の下請けが一斉にプランを提示してこぞって受注を競い合う超好条件の事案か何かならんですがねぇええぇ!!
しかしチームで作っているはずの物に対してまで、こういうスタンスの人が一定数いる。
なんで協力して一つの物を作ろうとできないんだろうか。
まあ「変わりはいくらでもいるんだから」という話に結局のところ帰着してしまうんでしょうが。
しかし「変わりの人間がいくらでもいる」ように、今の日本に「変わりの仕事はいくらでもある」と私は思う。
だからと言って我々が「今の仕事をないがしろにしていい」という理由にはならず、同じく「現在仕事を発注している人間をゴミのように扱っていい」という話にはならないのではないか。
と私は思う。
目の前にある全ての物を大切にしていきたいですね。
「働きたくないでござる。でも仕事がないのはやでござる」が口癖のような私がえらそうに言える話ではないかもしれませんが、理想論としてはね!
私は私なりいつだって全力で仕事に取り組んでいるつもりですし・・・ほんとほんと・・・能力はアレでも努力だけは人一倍よ・・・
そんなわけで、一年を無事に生き延びる事ができました。
一年前の自分と、今の自分と、比べて恐らく少しは違う。成長できたような気がします。
次の一年も無事に生き延びられるといいな。そしてまた少しでも成長できたらいい。
いろいろな連載を進めたり終わらせたりしたいですしね。
それではみなさん対極でした!
「I was born」っていう散文詩が教科書に載っていたと記憶していますが、「人は生まれさせられるんだ!」って英語の文法的発見にはしゃぐ少年と、子供を産んで死んでしまった母親の事を語る父親との、なんとも胸が苦しくなるような内容が今も私の胸に突き刺さってはなれない。
詩の力とはこれである。
どうもみなさん対極です。
そうです。
今日! この日!! うん十うん年前に私と言う人間がこの世に爆誕してしまったのです!!!
あぁ生まれたくなかった。今日も明日もいきづれぇ。
とはいえです。
「明日誕生日なんすよ」というある種の質量を持った発言で上役氏にごはんをおごってもらったり、「ほら・・・誕生日だから・・・」とかいう謎の呪文を唱えながらディズニーランドからの脱出(一万円する)に応募してみたりできてるわけですから、生き辛いながらも人生は楽しいものです。
嫌いな人への文句をおおいにいい、恩のある方への感謝をおおいに語り、誰にはばかる事もなく、非常識に今日も私は本心と感情をばらまきながら生きている。クズをクズと言ってなぁにが悪い!! などというふざけたスタンスで生きられているのだから、幸運であり幸福ですな。本心なんて一言も言えないで壊れてしまう人が世の中にはたくさんいるわけで。
そういう意味では、誰に雇用されているわけでもない根なし草というのはやはり私のしょうにあっているような気がする。けどやっぱりどこかに仕官したいような気もしたりする。安定か自由か。選択はいつも対極の位置にあって、中間地点で両手を伸ばしても両方には届かない。
とはいえだ。
攻撃なんてしないで穏やかに意見を通せるようになるのが一番上流なんだろうなという気持ちはあるんです。
私も本当は誰ともケンカなどしたくなく、誰も嫌いたくなく、誰にも嫌われたくなく、楽しく仕事をしていたい。
楽しく仕事をして「グッジョブやないか・・・」って言われたら最高にハッピーなわけですよ。
しかし世の中そう上手くは行かず、衝突は起こり、憎しみが芽生える。
主張がぶつかりあうならまだいい。こちらの主張を否定されるだけで、相手に主張がない場合が一番やっかいなんですな。一方通行の徒労感。
「これじゃない」「違う」「そうじゃない」ばかりで、「じゃあどうしたいの?」が出てこない。
思い詰めて「どうしたいのか?」と聞けば、「自分で考えろ」とくるのが一番やっかいです。
「あなたはどうしたいんですか? こちらはあなたがもってきたものを評価するだけです」って。
なるほど正しいスタンスだ。大量の下請けが一斉にプランを提示してこぞって受注を競い合う超好条件の事案か何かならんですがねぇええぇ!!
しかしチームで作っているはずの物に対してまで、こういうスタンスの人が一定数いる。
なんで協力して一つの物を作ろうとできないんだろうか。
まあ「変わりはいくらでもいるんだから」という話に結局のところ帰着してしまうんでしょうが。
しかし「変わりの人間がいくらでもいる」ように、今の日本に「変わりの仕事はいくらでもある」と私は思う。
だからと言って我々が「今の仕事をないがしろにしていい」という理由にはならず、同じく「現在仕事を発注している人間をゴミのように扱っていい」という話にはならないのではないか。
と私は思う。
目の前にある全ての物を大切にしていきたいですね。
「働きたくないでござる。でも仕事がないのはやでござる」が口癖のような私がえらそうに言える話ではないかもしれませんが、理想論としてはね!
私は私なりいつだって全力で仕事に取り組んでいるつもりですし・・・ほんとほんと・・・能力はアレでも努力だけは人一倍よ・・・
そんなわけで、一年を無事に生き延びる事ができました。
一年前の自分と、今の自分と、比べて恐らく少しは違う。成長できたような気がします。
次の一年も無事に生き延びられるといいな。そしてまた少しでも成長できたらいい。
いろいろな連載を進めたり終わらせたりしたいですしね。
それではみなさん対極でした!
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