どうもみなさん対極です。
なんということもない、ただの鬱々とした愚痴のようななにかです。
私という人間は何かというと、考えても意味の無い事ばかりを考えて、不安になって、落ち込んで、憂鬱な気持ちになります。
私には自信がなく、そのくせ自己顕示欲はとても強く、目立ちたがりのくせに誰にも存在を知られたくないという大変矛盾した気持ちがせめぎ合っています。
そうするとですね。
同じ人間であるにもかかわらず、人は時によってまったく相反した行動を取ります。
たとえばものすごく気合を入れてオシャレをしたかと思えば、翌日は全身黒一色のもっさりオタクスタイルで出てきたり、「みんなでカラオケいきましょうよ! 遊ぼう遊ぼう!」とかやった翌日に、「私人と一緒にいるのって苦手なんです」とか言い出す。
そして昨日の自分の行動を悔いるのです。
「なんで似合いもしないお洒落なんかしちゃったんだろう。気持ち悪い」
と私は思い、そして翌日には
「どうしてあんなダサいかっこして外であるいちゃったんだろう。気持ち悪い」
と考える。
気分屋で片付ける事ができる範疇ではあるんですが、せわしなくてそれなりに疲れます。
原因? 自意識過剰なんだと思うよ。
まあ、私が自意識過剰で気分屋なことは今に始まった事ではないのでわりとどうでもいいのですが。
足るを知る、という言葉がありますが、私はこの足るを知る事がどうやらできないらしいのです。
「これができたら自分はまとも」だと思って何かを目指し、それが達成されると今度は「このくらい誰でもできる。あれくらいのことができなければまだ人間のクズ」と思ってその先を目指し続ける。
向上心があるがんばりやさんのように読めるかもしれませんが、これはそういうポジティブな話ではないのです。
冒頭に書いた様に、「自分を決して認める事ができない」という一種の病なんですな。
今の自分に満足せず、自分を高めるためにするきらきらとした向上心と、事故卑下を打破するための泥臭い七転八倒は、同じなようでまったく違う。
ただ恐怖心だけがある。
「これができなければ私には価値が無い」
「これができなければ誰にも好いてもらえない」
「もっとがんばらないとバカにされるし、見下されるし、不幸になる」
という恐怖心ですね。
ちなみに、心にひっかかる対称が明確になっているばあい、心理学的には「不安」ではなく「恐怖」と呼びます。
そして私は明確に「他人からの評価」を恐れているので、これは恐怖心と呼ぶのですね。これマメな!
そしてこの恐怖心にまったくなんの根拠も無い場合、この嗜好を「妄想」と呼びます。
いいかみんなー! 妄想ってえっちなことをもやもや考えることじゃないんだぞ!
被害妄想とか貧困妄想っていうやろ。「自分は命を狙われている」とか「自分は絶対貧乏になる」とか。
このありもしないことをあると思いこんでしまう状態が妄想なわけです。
そして私は、この「妄想をいだいている」状態にあるのです。
そして妄想だと理解していても、この妄想は決して私の頭をはなれない。
まあ現実と妄想の区別が今の所はついているので、病院のお世話にはならずにすんでいますがね。
つまりね。
例えば私が学生で、クラスで一番になったとする。
そこで喜ばずに「学校全体ではレベル低い」と考えて勉強する。
それで学校で一番の成績になったりする。
そこでも喜ばずに「学校のレベルが低いからだ」と考えて頭のいい学校に転校する。
そして必死に頑張って、すべてを投げ打って学校で一番になれたとする。
それでも私が思うのは、「たまたま生徒のレベルが低かったんだ」とか「こんなに必死にならないと一番になれないなんて、私は頭のできが悪いんだ」とか「今が学校で一番になれたからって将来どうなるかわからない」とか考えて、決して満足する事ができない。
おわかりいただけるだろうか。
どんな状況になっても満足することなく、いたずらに自己否定を繰り返して自分を攻撃する人間の摩訶不思議な精神構造と言うものが!!!
理解できない方にはまったく理解できないけれど、同類には多分すごく共感してもらえるだろうなという類のお話。
理解できない人に不安を話すと「そんなこと言ってもしょうがないだろ」とか「恵まれてるくせに贅沢だ」とか「何が不満なんだ」とか言われて一層傷つくだけなので、あまり外で不安は口にしないほうがいいよ!
自己卑下というのは自分を評価してくれた人間までもまとめて否定する行為ですので、場合によったら怒りを買います。自分を守るためにも、他人を守るためにも、心が弱いアピールにはくれぐれも気を付けましょう。
どうしても不安で辛くて吐き出したくなったら私みたいにブログかいたらいいよ!
書いて自分の心理状態を文章に起こしてしまうと、割りと心に整理がつけられるものなのです。
今日も不安で恐怖で憂鬱です。
それではみなさん対極でした。
あれって凄く怖いですよね。否応も無く近づいてきて、最後まで来たらデッドって感覚。
すごく……締め切りに似ています……
「私、締め切り。さっきからあなたの後ろにいるんだけど」
「今別の仕事やってっから後でな!!」
どうもみなさん対極です。
いくつもの仕事がどしどしと折り重なって、微妙に身動きが取れない状態になっとります。
「この仕事お願いするよ」
「えー? 忙しいんすけどー。まあやってもいーっすけど、かわりにアレの仕事の話きたら私にやらせてくださいよ?」
「お? やる? 丁度きてるんだけど」
「抱き合わせ販売かー! しかも同時進行かー!!」
という状況。
自業自得なことはわかっている。お仕事いっぱいうれしいです! 年末のもち代にゃこまらなそうだ!!
しかしディズニーランドにいきたいですなー。
ハロウィンおわっちまうよお。ハロウィンのパレードが一番好きなのにー。魔女っこコスのダンサーさんがふりふり踊りながら行進するの見たいよーえーん。
だったらブログなんぞ書いてないで仕事しろという話。
今日も今日とで憂鬱である。
軽く寝てすっきりしてから仕事しようかな。もう私には何をどうしたらいいのかわからないよパトラッシュ。
もっと自分に自信があったらよかったのに。
あいにくと私にあるのは疑心暗鬼と事故卑下と臆病な自尊心と尊大な羞恥心だけである。
それではみなさん対極でした。
少女騎士の改稿・・・虎の威・・・おお・・・おおお・・・
って、ありますよね。
どうもみなさん対極です。
いや、なにね。なんということもない話なのです。
「あの人ってすげー噂話すきって噂じゃん? あたしそういうひとって信用できないんだよねー」みたいな、他者を否定すると同時に自己否定もしてしまうようなエコ精神を発揮してる方っておるじゃないですか。
その中でも究極にブーメランしてるなーと思った話がつい最近ありまして。
「あんた馬鹿なんじゃないの!?」
って。
言うんですよ。ええよくある話なんですが。
母親が、時分の子供に。
っていうところがミソでして。
なんていうかまあ。
それ、遺伝子的にも教育的にも「私馬鹿でございます」って言ってるのと同じことやぞーーー!!
人間は生まれながらの才能か、生まれてからの努力かという話が世の中にはありますが、最近では「その両方が重要なのである」という考え方が主流になってきているようです。
つまり、天才的な脳みそをもっていても教育が悪ければ大成せず、その逆もまたしかりということですね。
生まれながらの脳の構造というもの確かにあり、それによって得意不得意が生まれてくるのは仕方がない。
けれども教育、すなわち学ぶ事によって、ある程度の苦手は克服できる。
そしてこの「脳の構造」と「教育」ですが、幼少期においてはそのどちらも「親による影響」なんですよね。
それだというのに、血のつながった自分の子供を「馬鹿だ」と言ってしまっては、完全なる自己否定でブーメランにほかならない。子供を罵るよりも自分自身をかえりみるべきですよお母さん!!時分の子が馬鹿だと思うならあなたが馬鹿なんですよ! 気を付けて!!
「私の夫が馬鹿だから子供がバカになったんだ」とか「妻が馬鹿だから子供がバカに」とかいう方ももちろんおるでしょうが、その馬鹿を伴侶に選んだ時点で五十歩百歩だと私は思うし、何より伴侶を平気で馬鹿だなんだと罵れる人間ができた人間だとは思いたくないですなあ。
というか「遺伝子の半分は自分である」ということを考慮できない人が本当に賢いといえますか。
「いいところは自分の遺伝子。悪い所は伴侶の遺伝子」という考え方しかできない人間は、極めて自己愛が強い事が予想できるので、あまりよい教育・遺伝子を子供に与えられたとは思いにくい。
というわけで、子供をバカにするのは子供のためにも自分のためにもよくないですよ。って思った。本当に。
「行動」を叱るのであって、「人間」を否定してはいけないというのは、人間関係を良好に保つ上でもとても大切なことです。それを、親は子供に教えなくてはいけないのではないか。
子供が成長して、外部からの影響を受け始め、周囲と自分の親を比較し、検討し、結果「私の親は尊敬するに値しない」と思われるような事がないように、親と言うものは常に努めなければならんのだろうなと思います。
まあ親も人間で完璧超人にはなれませんので、あるていどではあるのでしょうが。
「お父さんのそういうところ、よくないと思うよ」という子の発言に「わかっているがもうなおらん。おまえはこういうところ真似するなよ」と堂々と言いあえるような関係がいいなと私は思う。
なんだか対極らしからぬ真面目な話をしてしまいましたな。
そう上手くはいかないでしょうとも。けど理想を語るだけなら、誰にも迷惑かからんがな。
私の両親ですか?
愛すべきクソババアとクソオヤジですよ!!!
どうしようもない部分もあるけれど、感謝もしているし愛してもいる。
つまりは普通の人間なのです。
それではみなさん対極でした。
大丈夫私は今日も生きてます。
はらへった!
そうですいつもの対極です。
いつもの対極ではあるんですが、少々いつもの対極らしからぬ忙しさと、いつもの対極らしい不安と憂鬱とでささやかに混乱状態です。
これをやらなければならない
しかしこれができる自信がない
本当にこれでいいのか?
本当にこうでいいのか?
頭を抱える毎日なわけですよ!! 頭がおかしくなってしまいそうだ!! おかげさまで三キロ太った! やべぇ!
ダイエットモードに切り換えるべく、春雨ヌードルとか食ってます。
ピザとかスパゲッティーはしばらく我慢。
でも小さいカップ緬は食う。ほらあの、コンビニでうってる超ミニマムサイズのカップ緬あるじゃないですか。あれ。ダイエットなら食うなよって話ですが、我慢のしすぎは毒よ毒。
あとディズニーランドにいきたい。ハロウィン。行きたい。
以下拍手レスですよ!!
いつもお世話になっておりますよ!1
見開きで換算したら60ページ。
短編ですよ。ど短編。
それでどうしてこんなにも!! こんなにも!!!!!
どうもみなさん対極です。
「寝る前に読んじゃうか」と軽い気持ちで、『たったひとつの冴えたやり方』を読みましたところ、あらゆる方向から精神をたたき潰されて息もできない状態です。
コーティー……! コーティー……! そしてシル……! ああぁ、あぁあぁ……!
前半はね、いかにも昔ながらのSFでございって感じでわりととっつきにくいんですよ。
専門用語が多くてね、その解説もいまひとつ難解。
ですがコーティーが脳寄生エイリアンのシルと出会ってからの展開がね。もうね。
希望を与えて叩き落すいわゆる萌やし泣きなわけですが。
そんな甘いもんじゃねーーよ!! ああそんな甘いもんじゃねえ!!
「事後報告」という形で送られて来るメッセージに、事後であるが故にもうどうにもできないというどいにもならない悲壮感。
力強いハミングをBGMに、焦熱地獄に向けて手を取り合って去っていくシルエットだと!?
なんて強烈な映像を文章でたたき付けてくるのか!
見てもいない光景が私の目に焼き付いてはなれない!
どうしようもなく悲しい! 読むんじゃなかった! しかし読まねばならなかっただろう!
どうして幸せになれなかったんや。
バッドエンドじゃない「悲しい結末」は、この世でなにより私の精神を抉りに来る。
これしかなかったと納得せざるを得ないだけに、やるせなさがどうにもならない。
結末は知っていたんですが、こんなにも悲しいとは思っていなかったよ。
もっと清々しくて、もっと前向きなものだと勝手に思っていました。
悲しい。
しんじゃいそう。
物語で人を傷つけるのをみんなそろそろやめないか・・・
なんてね。
私だったらコーティーを助けるよ。それで二人で宇宙のお医者さんするんだ。
お安いハッピーエンドの何がいかんよ。
私には名作は書けない。
それではみなさん対極でした。